2004年07月16日

その日、月下美人が咲いた

 僕の義父、妻の父親が亡くなった。一週間ほど前、7月8日の早朝だ。

 1月半ばから入院していたから、ほぼ半年の間、闘病していたことになる。知らせを受けた妻は1月16日から、実家の長野県塩尻市に向い、母親とともに看病をしていた。
GekkaBijin
 人が死ぬときというのは、往々にして不思議なことが起こる。
 まずは、ちょうど義父が亡くなる数時間前に、僕が見つけた写真。

 義父は五重塔などの歴史的建造物が好きであった。また日本史、とりわけ古代史が好きだった。歴史ミステリー的な要素が好みだったらしい。梅原猛氏の「隠された十字架」が愛読書で、法隆寺の秘仏・救世観音 [ぐぜかんのん] が一般公開された折、もちろん撮影禁止だったのだが、大胆にも写真を撮ってきてしまったことがある。その写真を義父は我が家にくれた。

 聖徳太子をモデルにしたというこの秘仏、さまざまな逸話や伝説に事欠かないが、どれもあまり気持ちのよいエピソードではない。義父の病気を知ると、妻はこの写真を気味悪がり、写真を探し出して、なんとか法隆寺に返却したいと考えたようだ。ところが、家の中を捜しても写真は見つからなかった。

 その問題の写真を、義父が亡くなる数時間前に、僕がふとしたことで見つけたのである。押入れを閉めようとして、ふと目についた袋....一旦押入れを閉めた後、なにか気になったので、また開けて袋を取り出したところ、その写真が入っていた。

 義父が欲しがっていたのかもしれないと思い、写真は、「隠された十字架」とともに棺に納めた。

 次は、祖父母の家に現れた黒いチョウだ。

 義父は享年66歳。その父母、つまり妻の祖父母は90歳代であるが健在だ。やはり義父が亡くなる前日の夜、もう家の窓も戸口も締め切っていたのに、黒いチョウが部屋に入り込み、飛び回った。ひとしきり飛んだ後、ふすまの前でパタっと落ちた気配がしたので、そこに行って見てみると、チョウはいなかったという。

 祖父は、そのとき何か予感がしたらしい。翌朝、義父が亡くなったと聞き、あのチョウは別れを告げに来たのだろうと思ったという。

 最後に、月下美人の花だ。

 年に2度、夜中に一晩だけ咲くという、この不思議な植物。義父は植物栽培も大好きで、月下美人が咲くのを楽しみにしていたらしい。ちょうど亡くなった日の昼、集まっていた親戚が、つぼみが大きく膨らんでいるのを見つけた。その日の夜中、よい香りとともにつぼみは開いた。いつもは外に置いてあるこの鉢植えを、僕は家の中に運びいれ、義父の遺体が横たわる布団から見える位置に据えた。

 あれから一週間ほど過ぎ、残された家族もようやく落ち着きを取り戻しかけている。半年の闘病を終え、ようやく痛みから解放された義父の眠りが、安らかであることを祈っている。
posted by Honeywar at 01:46| ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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